「好きの反対は嫌いではなく無関心」は本当なのか?
本を読んだり、講演を聞いたりしてために聞くこの言葉。
「好きの反対は、嫌いではなく無関心だ。」
なるほど、確かに「嫌い」はその人に関心を持った上での評価なので、そういった意味では、「無関心」が「好き」の反対にあたる。
この言葉に出くわした瞬間は、感心したものだったが、よくよく考えるとこんな疑問が出てきます。
「それなら、嫌いの反対は何だ?」
「好き」の反対が「嫌い」ではないのなら、「嫌い」の反対も「好き」ではないことになりますが、どうもそうは思えません。この記事では、「好き」「嫌い」「無関心」の関係についてまとめていこうと思います。
「嫌い」の反対は何か?
「嫌い」の反対に関して、少し考えてみましたが、私が出した結論は、「やっぱり嫌いの反対は好きだ」ということです。それは間違いないと思います。よく小さいころ、花びら占いを用いて、「好き、嫌い、好き、嫌い」などとやっていたように、「好き」はポジティブなイメージ、「嫌い」はネガティブなイメージとして、対極の関係として慣れ親しんできました。今さらこの対の関係を崩すのは、難しいと思います。結局のところ、「好き」と「嫌い」の関係は対になると言って間違いないでしょう。
「好き」「嫌い」「無関心」の関係は?
そして、「無関心」は興味を持たず、関心を持っていない状態だということになります。そして、「好き」は興味を持ち、関心を持っている状態だと言えるので、「好き」の反対は「無関心」ということは間違いなさそうです。すなわち、「好き」の反対は、「嫌い」であり、「無関心」でもある、ということができるということになります。
この三つの関係をまとめると、まず「好き」「嫌い」と、「無関心」は、関心を持っているかいないか、という軸で分けることができると思います。このように考えると、「嫌い」の反対も「無関心」だと言うこともできるのではないかと私は思います。そして、「好き」と「嫌い」は、ポジティブかネガティブか、という軸で分けることができます。図にまとめると、こんな感じです。
まとめ
以上より私は、「好きの反対は、嫌いではなく無関心だ」という言葉は、正確な表現ではないと考えます。正確には、「好きの反対は、嫌いであるが、無関心でもある」という表現になるでしょう。好きの反対は嫌いじゃない、と言い切るのは無理がありそうです。
おまけ:無関心の正体
記事のテーマとは脱線しますが、「無関心」の正体についての考察をまとめます。個人的には、「無関心」とは「普通」なのではないかと考えています。
「○○君のことどう思う?」
「えー、普通かなー」
このような会話で「普通」は、対象についてあまり考えない時(もしくは考えること自体が面倒くさい時)の、適当な返事として使われています。これこそまさしく、関心を払っていない状態、すなわち、「無関心」の状態だと考えられるでしょう。よく会話の返答として「普通」と言っている人は、相手を傷つけている可能性があるので、気を付けましょう。
以上