とあるゴリラの備忘録

某大学18卒でコンサル就職予定のゴリラが色々と書き綴っていきます。お手柔らかにお願いします。

スペシャリストか?ジェネラリストか?

度々話題になる『スペシャリストかジェネラリストか』論争ですが、様々な意見が存在します。日本ではジェネラリストの育成を重視しているけれど、欧米ではスペシャリストを重視しているなど言われていますが、実際どちらがいいのかはっきりしません。今回はそんなスペシャリスト・ジェネラリスト論争に関する自分なりの考えをまとめたいと思います。
 
 

スペシャリスト優位の世の中?

 
まずはスペシャリストについて見ていきます。『超AI時代の生存戦略』で落合氏が、「スペシャリストが前提」と主張しており、日本でもスペシャリストの価値が高くなってきていると思われます。その理由として、
1.市場価値が高い
2.比較優位により、社会全体が得をする
といったことが挙げられます。
 
色々なことがある程度できる人材よりも、ある一点がめちゃくちゃできる人材の方が、ピンポイントでマッチするため、企業(特に多くの人材を抱える大企業)は欲しがるでしょう。また、個人が得意なことに打ち込むことで、色々なことに手を出すよりも社会全体としては得をする比較優位の法則が当てはまることも挙げられます。
 
しかし、スペシャリストにはデメリットも存在します。今後AIの発展により、機械に代替される可能性がますます増えてきます。その時に、一つの専門性しか身についていない場合、何もできなくなってしまいます。
 
それに対しジェネラリストは、保証があるため、選択肢の幅が広いことがメリットとして挙げられますが、色々と中途半端なことしかできないため、市場価値は低く、情報が容易に手に入る世の中では、価値が低いと言わざるを得ないと考えています。
 
 

ジェネラリストの進む道

 
だからと言って、すべての人がスペシャリストになるべきだとは思いません。その例外として組織のトップが当てはまります。トップは、色々な分野を知った上で、メンバーをまとめなくてはならないからです。しかも浅いレベルじゃなく、スペシャリストと同じレベルくらいの、深いレベルの知識が必要だと感じています。多くの経営者が賢い(もしくは、賢く見える)のは、このためだと考えられます。

 

スペシャリスト→ジェネラリストへの移行

 
ここまで見てきて、市場価値を上げるという観点から見たとき、一番効率的な方法は、はじめはスペシャリストになり、その後様々な領域に進出しジェネラリストになるという方法です。
現状では、スペシャリストの方が市場価値は高いので、まずはスペシャリストを目指し、何か得意なものを極めていきます。その後様々な領域に進出していくべきなのですが、これはトップになりたい人に限ったことではなく、全ての人に当てはまる市場価値の高め方だと思います。一つの専門性を持つ人は沢山いますが、もう一つ専門性を身につけ、掛け合わせることで、より希少価値の高い人材になることができるからです。
この考えで重要になるのが、一つの場所に留まらずに、動き続ける姿勢です。居心地が良くなって一つの専門性に固執するのではなく、動き続け、新たな専門性が身につけていくことが大切だと感じます。
 
 
以上
 

人はどんなことに感動するのか?

 

私は、あまり感動することがない人間です。ドラマや映画を見て、周りの友達が感動していても、私だけ感動していないということが多々あります。しかし、高校の部活やアスリートの引退等、スポーツのことに関しては、人一倍感動してしまいます。

なぜ感動に個人差があるのか、人はどんなことに感動するのか、疑問に思い考えてみました。

 

まず、人が感動するものには2種類のものがあると思います。

1つ目は、真逆へ変化するものです。幸せから不幸、失敗から成功のように、状況がプラスからマイナス、マイナスからプラスに振れることによって感動すると考えています。例としては、幸せな夫婦に訪れる突然の死や、厳しい上司から褒められるなど、そういったストーリーが挙げられます。

特に、振れ幅が大きければ大きいほど感動の度合いが高いと思います。幸せ度が高ければ高いほど、死が訪れたときの悲しみが大きいですし、普通の人から褒められるより、とても厳しい人から褒められた時の方が感動するでしょう。

 

2つ目は、自分の経験に関するものです。これは、自分が実際似たような経験をしたことがあるため、イメージや共感がしやすいというのが一番の理由でしょう。私は高校時代、部活動に精を出していたため、高校野球高校サッカーの負けた時のシーンなどにはとても感動してしまいます。しかし、ペットを飼ったことがないため、動物とのドキュメンタリーなどには全く感動しません。

また、全く同じ経験ではなくても、自分の経験と共通の要素がある場合にも感動すると考えられます。部活を通して、何かに努力をして成し遂げることを目指してきた自分は、やはり、何かを成し遂げようとする姿に心打たれます。

 

おそらく、真逆へ変化するものに関しては、万人が感動するもので、自分の経験に関するものが、感動に個人差が生じるところだと思います。

そして、この2つの組み合わさったものが最も感動するものだと思います。私の例でいうと、映画「ROOKIES」がそれに当たります。高校野球自分の経験に関するもの)を舞台にした映画で、不良たちが最後に先生に感謝を述べるシーン(真逆へ変化するもの)はとても感動しました。

 

これらの法則は、何か感動させるコンテンツを作りたい時にも生かすことができると思います。ぜひ意識してみてください。

 

 

以上

「思考のアウトソーシング化」が主流な時代

近年よく聞くようになった言葉であるアウトソーシング。要するに、システム運用や電話受付、書類処理等、ビジネスの業務を外部に委託することを表す言葉です。しかし、テクノロジーの発展や、toC向けの色々なサービスがリリースされてきたことで、私たち一般人にも色々なことを外部に委託するアウトソーシングが進んできているように感じます。特に、考えることをアウトソーシングする「思考のアウトソーシングは、ここ数年色々な場面で見るようになりました。

 

この「はてなブログ」でさえ、思考のアウトソーシングの一種だと思います。自分でプログラミングを学び、一からブログを作るのは面倒くさく時間がかかるので、申し込むだけでブログを作成することができ、テンプレートでデザインもある程度変えていくことができるはてなブログでは、ほとんど考えることなくブログ作成が可能です。見方を変えれば、ブログ作成に必要な思考を、外部に委託しているということになります。

 

少し前ですが、私が感動したサービスが、ファッションレンタルサービスです。女性向けでは「airCloset」、男性向けでは「leeap」といったサービスが挙げられます。このサービスは、月額料金を払っているユーザーに、毎月スタイリストが選んだ洋服を届けてレンタルするというサービスです。私はファッションに疎いので、どんな服を着ればいいのかいつも悩んでいますが、このサービスを使えば、そういった「思考」をアウトソーシングすることができるようになります。

 

これから先、AIの発展により、さらに思考のアウトソーシングが進んでいくと思います。「今日はどこで何を食べればいいのか?」、「この予定はいつにしようか?」といったことは、私たちの代わりにAIが考えてくれるようになるでしょう。そうすることで、落合陽一さんが「超AI時代の生存戦略」で主張していたような、趣味などの自分の好きなことに集中できる時間が増えるようになります。

 

ただし、全ての思考をアウトソーシングすることは、人間のコモディティ化につながります。今後は、自分の中に確固たる軸を持って、自分で思考するところと、思考をアウトソーシングするところのバランスをとり、差別化を図ることが大切になってくると思います。

 

 

以上

【経済】GDPのわかりやすい解説

ニュース等でよく耳にする「GDP」という言葉。意外と使いこなせてそうで使いこなせていない人が多いのではないかと思います。自分もその一人で、「付加価値?収入の合計?」と、頭がこんがらがっており、しっかりと理解はしていませんでした。今回は、そんなGDPについて、自分の思考整理がてら説明していきます。

 

GDPの定義

 

GDPは、国内総生産と日本語に訳すことができます。そして国内総生産とは、国内で生産された付加価値の総額を表します。

しかしこれだけではなく、GDPには他の表し方もあります。そこで重要になってくるのが、三面等価の原則です。三面等価の原則とは、生産面(付加価値)、分配面、支出面の三つの面からGDPを表すことができ、この三つの面はそれぞれ同じ値になることを言います。ちょっとまだよくわからないと思うので、それぞれ具体的に見ていきます。

 

生産面

 

生産面のGDPは先ほど説明したように、国内で生産された付加価値の総額として表されます。付加価値と難しい言葉を使っていますが、別の言葉でいうと、儲けのことです。

例えば、自動車会社が300万円の自動車を作るために、色々な部品を仕入れなければなりません。そしてその部品をメーカーから仕入れるために全部で200万円の費用がかかったとします。つまりここでは、200万円の価値のものを300万円の価値あるものにしたのです。ここで、100万円分加算されたのは、他でもない付加価値が加算されたからです。部品を組み立てるための人件費や工場費等が付加価値として加算されたので、300万円になるのです。そして、企業の儲けも300万円‐200万円で100万円になるため、付加価値=儲けと表せます。

さらに、部品メーカーも他のメーカーから細かい部品を集めて一つの部品を作っています。仮に、200万円の部品を創り出すために、100万円の部品を仕入れる必要があるとすると、100万円の付加価値、つまり儲けを生み出したことになります。

そしてGDPは、国内で生産された付加価値、つまり儲けの総額なので、自動車メーカーの付加価値100万円、部品メーカーの付加価値100万円などのように、国内全て足していって求められるのです。

 

分配面

 

しかし、いちいち付加価値を計算していったらきりがないです。そこで出てくるのが、三面等価の原則であり、ここでは、分配面を説明します。

企業は、付加価値を儲けとして受け取るわけですが、受け取った儲けはもちろんそのままではなく、給料として従業員へ支払ったり、税金として政府に支払ったりして分配されます。これこそが分配面のGDPであり、付加価値が全て分配されるため、生産面=分配面のGDPが成り立つとしています。

ここで私は、「企業の儲けは、従業員や政府へ分配されるだけでなく、今後使うために一部は、企業内にとどめておくのでは?」と思いました。もちろんその通りですが、この分配面では、企業内部にとどめておくお金も、企業に分配されたとみなします。それゆえ、全ての付加価値が分配されたことになります。

 

支出面

 

最後に、支出面のGDPですが、分配されたお金は、一般消費者であれば消費に、政府であれば政府支出に、企業であれば投資といったことに使われます。それゆえ、生産面=分配面=支出面が成り立つという考えです。

しかしここでも、いくつか疑問が出てきます。そもそも、「消費者も政府も企業も、全ての分配されたお金を使い切ることはないのでは」という疑問が出てきます。この支出面のGDPでは、貯蓄などを投資としてカウントします。つまり、自分は銀行に預けて留めておいたと思っていても、ここでは、投資として支出したとみなされます。金利からの儲けを目的に、銀行に投資したと考えればわかりやすいでしょう。

さらに、「三面等価の原則の通りだと、生産面=支出面も成り立つが、生産されたものが全て支出によって売れることはないのでは?」という疑問もありますが、売れ残った在庫は企業が買い取る(投資する)という形でカウントされます。それゆえ、3つの要素が全て等しくなるのです。

 

まとめ

 

ここまでGDPについて見てみましたが、結局のところ、GDPには三通りの見方があり、数字自体はどれも同じで正しいので、生産面、分配面、支出面のどの定義も求め方が違うだけで、全て正しいということが言えます。

 

 

 

以上

【書評】『お金2.0』がこれからの時代の儲け方を教えてくれた

今回は、佐藤航陽さんの「お金2.0 新しい経済のルールと生き方」の書評です。ビジネス界で著名な方々がオススメしていたので、読んでみました。

 

概要

 

本書は、お金・経済をテーマに、今後どのような変化が起き、どのような生き方になっていくのか筆者の考えがまとめられた本です。

特に印象深かったメッセージが、今後、「価値」を媒介にした複数の経済圏が生まれるというメッセージです。

 

今まで資本主義というお金に支えられた経済で私たちは生活してきました。その中でお金は、「価値を媒介する唯一の手段」として扱われていました。つまり、お金で表せないものは無価値と扱われます。

しかし近年、お金の相対的価値の減少等から、その根源にある「価値」そのものを中心にする世界になると言っています。そこでは、お金に代表される「有用性としての価値」だけでなく、感情などにポジティブな影響を及ぼす「内面的な価値」や、「社会的な価値」も重視されます。そして、それらの価値は近年、フォロワー数や、いいね等いろいろな方法で可視化することができるようになり、それら価値を軸にした独自の経済を作ることができるようになってきました。

こうした根源的な「価値」というものを媒介に、多くの経済を作ることができる「経済の民主化」が起き、相互に取引などが行われるようになる、と筆者は主張しています。筆者は、それを「価値主義」と表しています。そのような社会では、一つの経済圏で失敗しても、他の経済圏で生きていくことができるため、安心感を持ってリスクを冒しやすくなります。そして、個人の価値を高めることで、どうにでもなる世界になりつつあると筆者は主張しています。

さらに、技術的な面でも経済システムを作ることが可能になりました。それが、自律分散型という考えです。データが溢れた世の中で、ディープラーニングによるAIの発展が、自動化・自律化を促し、ネットにより個人がつながりあい管理することで、中央の管理者が必要なくなる分散化が可能になりました。筆者は今後、この自律分散型の仕組みが普及していくと主張しています。

 

感想

 

今後経済やお金がどうなっていくのか、という筆者の予想が、説得力を持って描かれていて非常に面白かったです。この「説得力」の源泉は、筆者の実験・考察結果を基に主張が構成されているからだと思われます。本書を通じて、筆者はビジネスの場で実験をするなど、自分の好奇心を基にビジネスをしている印象を受け、起業家であり学者のような印象を受けました。それゆえ、机上の空論で終わる話ではなく、とても実用的な内容になっていたと思います。

概要に書いていませんが他にも色々と学ぶことが多くあり、読んで損はないと思います。特に、「これからの時代の儲け方を知りたい」という人には必読の一冊だと思います。

 

以上

【書評】『超AI時代の生存戦略』を読んで、未来が楽しみになった

今回は、落合陽一さんの「超AI時代の生存戦略」の書評です。AIについて漠然とした不安を持っていたため、学んでみようと思ったことと、メディアでも注目されている落合さんの思考について学んでみたいと思い読んでみました。

 

概要

 

超AI時代の生き方

 

 

この章では主に、仕事とそれ以外の両方で自分の道を見つけ、差別化した人生価値を生み出し続けていく必要があるという主張が印象に残っています。

主張の理由として、現状、テクノロジーの発展で世界中24時間つながることができるようになり、もはや「ワーク」と「ライフ」の境目が無くなってきていることが挙げられます。一般的にはワークライフバランスというようにワークとライフを区別した表現を用いますが、筆者は現在の状況を、「ワークアズライフ」と表現しています。

そんなワークアズライフの世界でどのように生きていけばいいのか。一つの手段として、グローバルニッチ戦略ブルーオーシャン戦略)を挙げています。世界の中で自分らしいというのは、母数が多すぎて難しいですが、あるコミュニティの中でなら、比較的容易だと思います。そういったコミュニティの中で自分らしさを実現していくということが、これからの生き方になってくると主張します。

また、自分らしく生きることは、競争ではなく、それぞれ色々な方向にいくことになります。つまり、ワークアズライフの世の中では、パイを奪い合うのではなく、パイをどうみんなで広げていくかが重要となってきます。そして、これからさらに発展してくる機械を受け入れ、機械と自分のバランスをとりながら自分らしさを追求していくことになります。

他の手段として、自分の価値基準を持つということを挙げています。これは、価値基準がないと、多様化していく世の中で自分を見失ってしまうからです。今後、人間が機械に代替される流れは不可避であり、そうなると人々の差がほとんどなくなってしまいます。そんな中で重要なことは、自分は何がしたくて何が楽しいのかといった価値基準を持つことです。それゆえ今後は、趣味性や遊びといった部分が重要になると予想しています。

 

超AI時代の働き方

 

今後、AI等の技術の発達により、職を奪われる不安等あるかもしれませんが、筆者は機会が得意な分野は機械を使い、人間は比較的得意なものに集中するべきだと主張します。具体的には、合理的な物や具体的な指令には機械を使い、息抜きの趣味やエンタメといった非合理的な分野や、モチベーションや想像力といった抽象的な分野に人間は集中することが効率的だということです。

また、知識は正確に覚えておく必要はないが、ググればわかるというレベルにしておくことが重要だと言います。そうしておくことで、超AI時代において理想的なスペシャリストかつ、それ以外の色々な分野にもフックをかけている状態になることができるのです。

 

感想

 

この本を読んで一番よかったのは、テクノロジー技術を悲観せず、うまく付き合っていくことが大切だということを知ることができたことです。機械に職を奪われる未来に怯えるのではなく、色々なことを機械に任せて自分らしさを追求することができる未来を楽しみに思うようになりました。

また、本書を読んで、落合氏はふわふわした物を定義・構造化するのがうまいなと思いました。例えば、「楽しい」は、ギャンブル性、コレクション、心地よさ、から構成されるといったように、なるほどと思うところが多々ありました。しかし、時折内容が脱線する部分があるように感じたり、思いついたことをどんどん書いているような印象を受けました。これは、頭の回転が速い人に特有の現象だと思います。それゆえ、全体を理解するのに少し苦労しましたが、とても読み応えのある本でした。

 

 

以上

得た知識は積極的に共有すべき3つの理由

仕事や勉強をしていく中で、自分なりの方法論を思いついたり、もしくは、先輩や先生から素晴らしい知識を教えてもらったりすることがあると思います。そうした知識を知った時、「自分だけで独占して、周りに差をつけよう」「周りに教えてしまったら損だ」と考えることがあると思います。こう考えてしまうのは人間の性だと思うのですが、最近、どんどん共有していった方が、自分にとってメリットが多いと思うようになりました。今回は、得た知識を共有していくべき3つの理由を紹介していきます。

1、知識がより定着する

 

自分がインプットした知識を、いざ他人に説明しようと思うとなかなかうまくできない、という経験をしたことがある人は意外と多いのではないかと思います。これは、インプットしただけでは、完全に知識が定着しないためです。「何をしたらいい」「これはこうすべきだ」という表面的なことはすぐに伝えられると思いますが、他人にアウトプットするためには「どんな効果があるのか」「なぜそうなるのか」等、徹底的に理解していないとうまく理解してもらえません。このように考えると、アウトプットはインプットの練習にもつながる、と言うこともできると思います。知識定着のために、アウトプットの場を設けることはすごく有用だと思います。

2、人との結びつきが増える

 

知識の共有をしていると、人との結びつきが増えていくと思います。例えば、職場などで知識をどんどん共有していると、ある人は参考にして、自分のファンになってくれるかもしれません。またある人は、フィードバックをしてくれ、知識のブラッシュアップにつながることもあるでしょう。どちらにしろ、共有することによって、自分のブランディングにつながり、多くの人が興味を持ってくれるでしょう。これは、他の団体でも、ネット上でも同じことだと思います。

3、情報が集まってくる

 

自分もそうですが、共有等のアウトプットの習慣がつくと、次は何をアウトプットしようかと考え、日常的に色々なことにアンテナを立てる癖がつきます。こうなることで、色々なことに敏感になり、情報が勝手に入ってくるようになります。また、人に共有することで、受け取った側もお返ししたいという心理が働き、色々な知識が流れてくることもあるでしょう。

共有することの心配について

 

一番最初に挙げたように、知識を共有することを心配に思う人もいるでしょう。しかし、意外と得た知識を生かしたり、真似して活用したりする人は少ないと思います。もし全員が得た知識を生かしていたら、この世に悩む人など存在しないですよね。それゆえ、現代は知識自体には価値はなく、行動に移せるかが大切な世界だと思います。そういうわけで、あまり気にせず自分のためだと思って、どんどん色々な知識を共有していきたいと思います。

 

以上