とあるゴリラの備忘録

某大学18卒でコンサル就職予定のゴリラが色々と書き綴っていきます。お手柔らかにお願いします。

飲食店で感じた「気遣い」への違和感

先日、某ファストフード店でコーヒーを注文し、10秒後くらいに「大変お待たせいたしました!」と言われコーヒーを渡されました。内心、「全然待ってないし、むしろ早すぎるでしょ」と思いながらもコーヒーを受け取りました。このように日本の飲食店等のサービス業では、気遣いに違和感を感じることが多々あります。
 

過度の気遣い

本来気遣いは、相手の気分をよくするため、様々なことに配慮することだと思います。これは、日本人の特徴でもあると感じていて、とても誇らしく思います。しかし、それが行き過ぎると、相手も気分よくはならないでしょう。なぜなら、相手に自分が気を遣っていることがわかってしまうからです。「あー、こいつ気を遣ってんだな」と思ってしまうと、申し訳ない気持ちになり、どちらも得をしません。サービス業では気遣いは必須のスキルだと思いますが、過度な気遣いは違和感を感じるどころか、不快な思いをすることさえあります。難しいことだと思いますが、不快に感じない程度の絶妙な気遣いをすることが、必要なことなのでしょう。
 

表現のテンプレート化

過度の気遣いは、気を遣うという努力が見えるため、まだマシだと思います。しかし、先ほどのように待ってもないのに「大変お待たせいたしました」と言ったり、大したことをしていないのに「大変申し訳ございませんでした」と言ったりするのは、気を遣っているのではなく、気を遣っているように見せかけ、ただテンプレートを読んでいるだけのように感じます。明らかにおかしい気遣いの表現を言うということは、そこにその人の思考・判断が入っていないと考えられます。つまり、気遣いの本来の意味である「様々なことに配慮する」ということができていません。こういったところに、私は違和感を感じていたのだと思います。
 
このようなテンプレの表現をしているだけでは、すぐに機械に置き換えられてしまうでしょう。しかし、人間のことは人間が一番わかっているはずです。今一度、気遣いについて見直していくべきだと思った日でした。
 
 
以上